13
井ノ原くんが倒れて、一週間。
おれは井ノ原くんの病室の前に、立っていた。
『井ノ原くんの笑顔、嫌い』
…あれから、ずっと会っていなかった。
何度か、この病室のドアに向かったことはある。
井ノ原くんが倒れたときも来たけれど、どうしても目を合わせる気になれなかった。
自分がちゃんと謝れる、
笑顔を見せることができる、
自信が持てなかった。
ただ、このままでは駄目なんだと、気づかされた。
———『まだ、大丈夫』
あの長野くんの言葉。
それはある意味、もう時間がないのだということを教えられた。
今会わないと後悔する。
井ノ原くんに、ちゃんと謝りたかった。
コンコン、とドアを叩いて。
「はい」、と久しぶりに聞く井ノ原くんの声。
身体中の神経を手に集中させて、ドアを開けた。
「…剛」
入ると、井ノ原くんは目を見開きそう呟いた。
そしてすぐその目は逸らされ、困ったように揺れた。
一層細くなった腕、身体。
こけた頬。
黒髪を際立たせる、青白い肌。
見ていたくなかった。
胸を締め付けられるような気分だった。
逃げ出したい。
またあの時のように、井ノ原くんの病室から走り出たくなった。
『また繰り返すの?』
…もう、繰り返したりしない。
でも、言葉が出なかった。
しばらくの沈黙。
何か言わなきゃ。
笑って、見せなきゃ。
ふー…と深呼吸をして、息を整える。
「井ノ原、くん」
井ノ原くんは、ピクッと肩を震わせ、緊張した面持ちでこちらを見た。
「あの…さ」
手が震えて止まらない。
次の言葉が出ない。
何こんな緊張してるんだ、おれ。
笑って、見せるんだ。
「ごめんね、ずっと、来てなくて。…調子、どう?」
とぎれとぎれだった。
声が震えて、時々裏返ってしまった。
…でも、笑って見せた。
ごめんね。
ごめんなさい。
笑顔嫌いなんて言って、ごめんなさい。
井ノ原くんの気持ち、知らなかったんだ。
ずっと一人だったんだよね。
寂しかったんだよね。
辛かったんだよね。
もう一人になりたくないって、思ってたんだよね。
嫌われたく、なかったんだよね。
でもね。
井ノ原くんが笑ってなくても、
井ノ原くんが苦しんでいても、
おれたちは、傍にいるよ。
嫌ったり、しないよ。
おれは、おれたちは、
井ノ原くんのこと、大好きだから。
今までも、これからも、ずっと。
その想いを目一杯込めて、おれは笑った。
井ノ原くんの目が揺れる。
驚いたように、おれを見る。
そして少し時間をおいてから。
「…この通りだけど。今日は、だいぶ良い方、かな」
そう言って、おれに笑顔を向けた。
作り物なんかじゃない。
辛そうじゃない。
その笑顔は、おれが大好きだった、キラキラしているもの。
井ノ原くんの、本当の笑顔だった。
******************
ドアの前に現れたのが剛で、本当に驚いた。
こんなに突然来るなんて。
井ノ原くん、と呼ぶ声は、あの時と変わらない。
ただ、その声に怯えた。
また、自分の心の内を、見られるような気がして。
だけど。
「調子どう?」
そう言った剛は、笑っていた。
———井ノ原くんの笑顔、嫌い。
あの時のオレを許してくれるように。
嫌いじゃない、と言ってくれているように。
広がる安堵感。
嬉しくて、オレも笑って見せた。
これは嘘の笑顔じゃない。
今のオレの笑顔は。
嫌われない自信、あるよ。
…サンキューな、剛。