健から電話がきたのは、23時をまわる頃だった。
｢…さかもと、くん…？｣
聞こえてきたのは、健の掠れて弱々しい声。
｢今から、学校来れない…？｣
校長室に、いるから。
健はそう言って、電話を切ってしまった。
何が起きたんだ？
迫る不安。
俺は両親に何も言わないまま、玄関の外へ飛び出した。
｢…坂本くんっっ！！｣
学校の門を抜けると、待ち構えていたように剛と岡田が駆け寄ってきた。
｢なっ…何が、あったんだよ？｣
息を整えて、話を聞いた。
剛と岡田は、小走りに校長室へ向かいながら言った。
｢井ノ原くんがっ…｣
そう言って、剛が唇を噛む。
何だよ。
井ノ原がどうしたんだよ。
問い質せば、重そうに開く口。
｢…イノッチが、退学になった｣
…は？
まだ何も理解できないまま、校長室に着いた。
ドアの前には、長野が俯いて立っていて。
俺が来たのに気づくと、走って勢いよく俺の両腕を掴んだ。
｢坂本くん、ヤバいよ、どうしよう！？ 井ノ原がっ…｣
今にも泣きそうな顔をして、長野はしゃがみ込んで頭を抱えた。
何だよ。…は？
意味わかんねぇよ。
退学、って。井ノ原が？
ありえねー、だろ。
｢中に、井ノ原と健が、いるから…｣
混乱しているなか長野にそう言われ、俺は恐る恐るドアをノックし、開けた。
そこには、椅子に座っている校長と、乱れた服装で立って俯いている井ノ原と、健がいて。
校長は俺に気づくと、はぁ、と呆れたように溜息を吐いて、立ち上がった。
｢坂本君。バレー部には悪いが、井ノ原君に退学処分を与えることになった｣
退、学。
井ノ原が…？
嘘だろ。
なあ。
俺が黙っていると、校長は構わず続けた。
｢井ノ原君が、竜神高校と喧嘩をしたそうでね。
井ノ原君が先に手を出して、竜神高校の生徒一人を骨折させたんだよ｣
俺は目を見張った。
校長と、井ノ原を交互に見て。
やっと、理解した。
頭が冷めてきて、同時に怒りが沸いてきた。
｢喧嘩…｣
しかも竜神と。
見ると、井ノ原は俯いたままで、俺を全く見なかった。
退学。
井ノ原が、退学……。
…じゃあ、全国大会はどうなるんだ。
｢悪いが、出場停止だよ｣
校長が、もう一度溜息を吐いて言い、校長室を出て行った。
その瞬間、俺の中で何かがプツンと切れた。
出場、停止…？
何だよ、それ。
じゃあ、今まで俺たち6人が重ねてきたモノは？
全部、失くなる。
井ノ原だけじゃなくて。
なにもかも。
-------っ…！ 坂本くんっ！
｢ふざけんな｣
気づいたら俺は、井ノ原の胸倉を掴んでいた。
｢何なんだよ。ふざけんなよ、お前自分が何やったかわかってんのかよ？！｣
揺らせばやっと見えた、井ノ原の顔。
口端からは血が流れていて、左目の周りは蒼く腫れていた。
｢竜神と喧嘩なんかして馬鹿だと思わないのか？！ 退学なんて…ありえねーだろっ！？｣
｢坂本くん、違うんだっ！井ノ原くんは…｣
｢うるせぇっ！｣
何か言おうとする健を無視して、怒りが止まらなくて。
どんなに怒鳴っても、井ノ原は揺らされるまま、何も言わない。
まるで無表情だった。
それが俺をますますいらつかせた。
｢全国大会出るんじゃなかったのかよ！ 全国大会出て、優勝しようなって、お前が言ったんじゃねぇか！！
俺たちの今までの努力は何だったんだよ？！ …全部遊びだったのか？ ただの仲良しグループだったのか？
…なぁ、何とか言えよ！！！｣
｢坂本くんっ！｣
殴り掛かるような勢いで怒鳴る俺を、長野が制止した。
俺が黙ると、井ノ原は胸倉に掛けた俺の手を外し、呟いた。
｢…ごめん｣
今にも消えてしまいそうな、か細い小さな声で。
俯いていて表情は見えなくて、俺は井ノ原が泣きそうな顔をしているのに気づかなかった。
｢何がごめんだよっ…！｣
｢坂本くん！！｣
再び食ってかかろうとした俺を、長野たちは力ずくで抑えた。
するとこちらで揉めあっている間に、井ノ原は校長室を出て行こうとした。
｢ぉいっ！ 待てよ！ 逃げんのかよ！！｣
俺は長野、剛、岡田に手を抑えられたまま怒鳴ったが、井ノ原は振り向かずに廊下へ出て行ってしまった。
｢井ノ原くん！｣
すると先程まで井ノ原の隣に立っていた健が、焦って井ノ原を追い出て行って。
長野たちも俺の手を離したが、俺たちは2人を追い掛けることができず、健が戻ってくるのを待つことにした。
｢…っハァ…ま、待ってよっ、井ノ原くんっ…｣
井ノ原は既に校門まで来ており、
行くの早いよ、と健は息を整えながら言った。
井ノ原は立ち止まったが、背を向けたまま。
だが健はそのままで話した。
｢なんで、ホントのこと言わなかったんだよ…｣
アレは井ノ原くんのせいじゃないのに、と健は涙声で言った。
｢おれの、せいなのに｣
しばらく黙っていたが、井ノ原は振り向き、健に近づいた。
健が不思議そうに井ノ原を見上げると、井ノ原は健の手を取って。
｢これ、返す｣
健の家の鍵を、握らせた。
返すの忘れてた、ごめんな。
健がふるふると首を横に振ると、井ノ原はふわりと、…しかし遣る瀬無く、笑って。
｢健は、オレみたいになるなよ｣
そう、言って。
立ち尽くす健を後に、井ノ原は校門を出て行った。
ずるいよ、井ノ原くん。
どうして、ホントのこと隠したままいなくなるの？
どうして、バレーを諦めたくないって、言わなかったの？
そんなの、ずるいよ。
おれたち、許せないよ…。
健は溜まった涙を拭い、校長室に向かって歩きだした。
｢健、知ってるんだろ？ 教えてくれ｣
健が戻ってくると、俺たちは井ノ原の話を聞いた。
健は最初話すか迷っていたが、重い口を開き話した。
｢…さっきさ、皆と別れて、おれ門限あるから走って帰ってたんだ。
井ノ原くんと帰る方向は一緒なんだけど、先に行ってたの。だけど、運悪く竜神高の男子バレー部の何人かに会っちゃって…。
そいつらは試合ではベンチだったみたいなんだけど、
ガラ悪くてね、
おれに絡んできて-------------
そいつらはおれの前に立ち、おれを睨みつけてきた。
｢ぁあ？月見高じゃん、もしかしてさっきのバレー部？
…はは、何こんな時間まで何やってたの？ 試合の打ち上げか何か？
…うっぜぇよな、あんなんで喜んでさ。一回竜神高に勝ったくらいで調子乗ってんじゃねぇよ｣
そいつらはおれを輪になって追い詰めてきて。
おれは輪から抜けようとしたんだけど、簡単に捕まっちゃって。
｢…やめてよ｣
｢あぁ？ 何つった？ うるせぇんだよ｣
｢ちょっ…！｣
竜神高の奴らはおれのバックを奪って、中身をガサガサと落とした。
急いで拾おうとするおれを、抑えて。
リーダーらしき男子が、落とした中からおれの家の鍵を取り出して。
フラフラと、おれに翳して見せた。
そしててソレをポケットにしまおうと、したら。
｢…！ ぅわっっ！！｣
一瞬で、ソイツは横に飛んだ。
宙に浮いた鍵は、他の手の中に握られた。
呆気に取られ右を見ると、
じり、と拳を握った、
井ノ原くんがいた。
｢お前ら、ウチの部員に何か用？｣
井ノ原くんが嘲笑うように竜神高生を睨むと。
｢んだてめぇ？！｣
そいつらは激怒して井ノ原くんに拳を振り上げた。
だけど井ノ原くんは全く動じないで、立ち向かって。
気づけば、竜神高の奴らはリーダーを支えながら逃げて行った。
井ノ原くんを見ると、手からは少し血が垂れていて、顔にも少し傷があった。
おれはゾッとして、井ノ原くんの腕を掴んだ。
｢なに、やってんの…？｣
あんなことしたら、井ノ原くん。
言おうとして、口をつぐんだ。
井ノ原くんの目は、傷ついてたんだ。
-----おれを守ろうとして負った傷と。
-------------------もう取り返すことのできない、自分でつけた傷で。
｢あとでさ、あの時井ノ原くんに殴られたリーダーの手の甲の骨が、折れてたってわかって｣
退学が決まったんだ。
健が言うと。
｢なんで、イノッチは言わんかったんや｣
向こうに脅されたって。
そうしたらこんなことには。
岡田の言葉にに、長野が遮るように言った。
｢もう、やめよう｣
決まったことなんだ。
悔しいけど。
そして俺たちは、別れた。
井ノ原はいない学校で、俺たちはしばらく過ごして。
男子バレー部は、廃部して。
3月に卒業して、それぞれ違う道へ進み、10年間、会うことはなかった。