8
「…うっ…うぅ…」
病室から走り出て、剛は人気の少ない地下の階段下で座り込んでいた。
格好悪いと思いながらも、ずっと涙は止まらなかった。
井ノ原くんに「そんな笑顔嫌いだ」と言ってから、少し気まずくて、しばらく病院には行っていなかった。
健や准一も、最近は行ってなくて。
そうしたら、突然准一に井ノ原くんの病気のことを聞かされた。
井ノ原くんの病気は結核だと。
自分が言った言葉と、井ノ原くんの笑顔が、交差して。
怖くなって、病院に向かった。
久しぶりに見た井ノ原くんは、前よりも痩せて、弱々しく見えて。
凄く胸が痛くなった。
だけど共に、こんなになるまでどうして黙ってたんだ、という思いも沸いて来て。
目を覚ましたときの井ノ原くんの笑顔に堪えられなくて。
ここまで走って来た。
「うぅ…うっ…う…」
剛は顔を腕に埋めたまま、泣き続けた。
昨日のこともあり、よっちゃんの病室で坂本くんと会話するのはキツくて、とりあえず病院内を歩き回り息抜きをしていた。
地下に繋がる階段を通り掛かると、下から微かに泣き声が聞こえてきて。
ちょっと不気味ではあったけれど、音をたてないように静かに階段を下りた。
そっと踊り場を覗くと、そこには壁にもたれて小さく座り込んだ剛がいて。
泣き声を発しているのも、剛だとわかった。
「ここは関係者以外立入禁止ですよ~」
軽く言うと、剛はビクッと肩を竦め、こちらに目を向けた。
すると、ホッとしたようにため息を吐いて。
「長野くんか…」
と震える声で呟いた。
俺が剛の隣に立つと、剛は立ち上がって涙を懸命に拭いた。
「…どうした」
なるべく優しく聞いてみた。
何となく、よっちゃんが関係あるんだろうとは思ったけれど。
剛はしばらく黙っていたけれど、
ゆっくり、話しだした。
「…おれ、井ノ原くんに、井ノ原くんの笑顔、嫌いって言った」
幸せなのって聞いた、と、剛は辛そうに言った。
「井ノ原くん、最近すごい痩せたし、顔色悪いし…。それでも笑ってたから、なんか、怖くて…」
剛は言いながら、また泣き出してしまった。
剛はいつから気づいていたのだろう。
よっちゃんの不調と、
よっちゃんの壊れた笑顔に。
剛はずっと、よっちゃんを見ていたのだ。
「…剛は、優しいね」
えっ、と剛は驚いて顔を上げた。
「…どこが」
剛は少し顔をしかめて聞いた。
「ずっと、よっちゃんのこと見てくれてたじゃない」
俺が剛の頭をくしゃっと撫でると、剛は恥ずかしそうに俯いた。
「よっちゃんのこと、心配してたんでしょ? だから、無理して笑ってるみたいだったよっちゃんを見たとき、凄く辛くなって、嫌いって言っちゃったんでしょ」
剛は黙って頷いた。
俺は剛から手を離して、階段の段に腰掛けた。
「よっちゃんはねぇ、嫌われたくないから笑ってるんだと思う」
人前で怒ったり泣いたりしないのは、人に嫌な思いをさせたくなかったからなのだ。
剛は不思議そうに、俺の目を見た。
「なんで、嫌われたくないの?」
俺はフー…とため息を吐いて、話した。
「もう、独りになりたくないんだよ」
よっちゃんは生まれてすぐ、孤児院に引き取られた。
子供を育てる自信がなかった母親が、孤児院の入口に置いて行ったのだ。
親の顔も知らないまま、よっちゃんは孤児院で暮らしていた。
よっちゃんは内気で、人と話すのが苦手だった。
また、病弱でもあったから、学校も休み勝ちで、孤児院の中でも学校でも友達はできなかった。
孤児院の先生も、別に優しくしてくれるわけでもない。
ずっと、独りだった----------------------------------------------
「…それで、18歳くらいのときに倒れて、この病院に来たの。
そこで俺や坂本くん、剛たちと出会った。多分まともに話せたの初めてなんじゃない? 警戒心とか、緊張とか持たずに。
…だからさ、よっちゃんはソレを失くしたくないんだよ。 もう出会えないかもしれないソレを、手放したくなくて。
俺たちに嫌われたくなくて、ずっと、笑ってるんだ」
-----------笑ってなくたって、俺たちは嫌ったりしないのにね。
言うと、剛は辛そうにうん、と頷いた。
「…おれ、井ノ原くんのこと傷つけた」
井ノ原くんにとって1番辛い、言葉なのに。
おれのこと、好きでいてくれたのに。
「井ノ原くんのこと、大好きなのに」
剛はまたしゃがみ込んで顔を腕に埋めた。
また泣き出しそうな顔をしたから、俺は剛に向かい合うようにしゃがんで聞いた。
「剛はよっちゃんのこと、好きでしょ?」
剛は俯いたまま、こくん、と頷く。
「まだ、よっちゃんといっぱい話したりふざけあったりしたいでしょ?」
もう一度、頷く。
俺は笑って、剛の頭を撫でた。
「じゃあさ、」
剛が不思議そうに顔を上げてこちらを見る。
じゃあ、さ
よっちゃんのこと好きでいてくれるなら。
もう一度話したいと思ってくれるなら。
「よっちゃんに、笑顔を見せてあげてほしい」
いつでもいいから。
何も言わなくていいから。
「よっちゃんは、みんなの笑顔が大好きだから」
そう言って、笑いかければ。
剛は、涙目ではっきりと頷いた。
「おれ、まだ井ノ原くんとたくさんしゃべりたい」
剛はそう言って、立ち上がって。
「ちゃんと笑えるようになったら、また来るね」
井ノ原くんを安心させられる笑顔を、準備できたら。
「…待ってるよ」
剛はうん、と頷いて、階段を駆け上がって行った。
…さて。
俺もそろそろ、よっちゃんと仲直りしなきゃなあ。
よっちゃんの怒ってる顔を思い出して、思わず苦笑する。
ふー…
気を引き締めるようにため息を吐いて、俺も階段を上がって行った。