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俺たちが病院に戻ると、入口には長野が立っていた。
病院に井ノ原がいないとわかってから、ずっとここで待っていたようだ。
長野は井ノ原を見ると、血相を変えて走り寄ってきた。
「長野…」
バシッ!!
俺がしゃべる間もなく、長野は井ノ原の頬を平手打ちした。
「どれだけ心配したと思ってるの」
長野の目には涙が浮かんでいた。
「屋上に行くのはやめよう、って言ったよね」
井ノ原は叩かれて俯いたままで、表情は見えなかった。
「外に出ちゃダメって、言ったよね」
長野は涙を零しながら、井ノ原を睨み、怒鳴った。
「そんなびしょびしょになって、病気もっと悪くなるよ!?」
「…じゃあ、治して」
「なにっ…?」
井ノ原が、顔を上げた。
「治せるなら、治して」
井ノ原は、今まで見たことのない、無表情だった。
「もうわかってるんだよ、俺だって。治らないんでしょ?」
「そんな訳…」
「治せないんでしょ? …もう俺は、いくら頑張ったって治らないんだよ!」
井ノ原は怒鳴りだした。
「井ノ原…」
「そんなのわかってるよ! 治らないんだ俺の病気は! 黙ってるだけでしょ? 俺は死ぬんだ!」
「よっちゃん!」
井ノ原は様子がおかしかった。突然怒鳴りだし、身体はブルブルと震えていた。
長野が震える井ノ原の身体を抑えると、井ノ原は
「触んな!」
と勢いよくその手を振り払った。
「自由にさせてよ! もう治らないんなら…ほっといてよっ!!」
「井ノ原っ!」
井ノ原は叫んで、廊下を走って行ってしまった。
「井ノ原…」
「よっちゃんは…。誰よりも自分の身体のことわかってるんだね」
長野は寂しそうに言った。
「よっちゃんは、結核なんだ」
「…え?」
俺は最初、聞き間違いだと思った。
「今、なんて言った?」
長野は俯いて、涙声でもう一度言った。
「井ノ原は、結核にかかってるんだよ」
ドアを勢いよく閉めて、背中で抑えた。
でもすぐに力が抜けて、ドアに背中をつけたまましゃがみ込んだ。
----なんであんなこと言っちゃったんだ。
頭が冷静になって、さっき自分で口走った言葉を後悔した。
少し熱くなった自分の頬を、そっと摩る。
自分が悪いことをしたのはわかっていた。
わかっては、いたのだけれど。
長野くんに叩かれて、頬がジワッと熱くなるのを感じたら。
ものすごく、悲しくなって。
心のなかで思っていたことを、全部吐き出してしまった。
治らないんだ、とか。
ほっといて、とか。
長野くんの手を振り払って。
坂本くんにも、酷いことした。
坂本くんは、俺の病気のこと知らなかったんだろうな。
人前では発作起こさなかったし。
でも今頃、長野くんに病気のこと聞いてるんだろうな。
よっちゃんの病気は結核だ、って。
驚いてるかなぁー…。
悲しんでくれてるかなぁ…。
坂本くんが差し出した手。
長野くんが頬を叩いた手。
坂本くんがオレを引き止める声と、
長野くんの溜息。
どれも、悲しかった。
雨に濡れてまでオレを探して、怒りもしないで差し出してくれたあったかい坂本くんの手。
あったかかったけど、なんだかすごくイライラした。
なんで怒らないんだって。
あれで坂本くん風邪引いたらオレのせいなのに。
長野くんの、涙流しながらオレを心配して放った平手打ち。
ジーンとして、痛かった。
あー…
何を求めてんのオレは。
矛盾してる。
優しくされたらイライラして、怒られたら悲しくなって暴言吐いて。
何してほしいんだよ。
怒られたい?
優しくしてほしい?
…愛してほしい。
もう1度、
…抱きしめてほしい。
…ハハッ。何くっさいことぶっこいてるんだオレは。
なにが愛してほしいだっつーの。
バッカじゃねーのっ…
膝に顔を埋めて、自嘲気味に笑った。
涙が出そうなのを必死に堪えて。
コンコンッ。
不意に、背中のドアを叩かれた。
オレは答えなかった。
「井ノ原」
コンコンッ。
「井ノ原、開けてくれ」
坂本くんだ。いつもより優しい、柔らかい声だった。
「井ノ原……あ」
気づいたらドアを開けていた。
坂本くんは、オレの顔を見るなり少し悲しそうな顔をして。
「はい、…風邪ひくぞ」
オレにタオルを差し出した。
オレが受け取ると、坂本くんは少し微笑んで、はぁー、とため息を吐いた。
「井ノ原、結核なんだってな」
ぽつりと言って。
オレからタオルを奪い、おりゃー、とオレの頭をグチャグチャに拭いた。
オレは相変わらず黙っていた。
そしてまた、坂本くんは悲しそうな顔をして。
「夜、よく発作起こしてたんだってな」
オレはじっと坂本くんを見ていた。
「でも、それでも井ノ原は笑ってたって、長野が言ってた」
坂本くんも、じっとオレを見ていた。
「…なんで、笑える?」
坂本くんは今にも泣きそうだった。
「なんで苦しくても辛くても笑っていられる?」
オレは答えなかった。
すると坂本くんは諦めたようにため息を吐いて、「じゃあな」と部屋から出ていった。
ドアが閉まる音が、やけに耳に響いた。
オレは張り詰めていた緊張が途切れて、その場にペタンと座り込んだ。
『なんで苦しくても辛くても笑っていられる?』
坂本くんの言葉が、ずっと頭を駆け巡っていた。
---もう独りになりたくないから。
笑えばみんな、オレのこと好きでいてくれるから。
だから、笑ってる。
オレはもう一度、タオルで頭をグチャグチャに拭いた。