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ごめんね…
ママには、自信ないの…
ほとんど覚えていない。
気づいたら、家族はいなかった。
まだオレが赤ん坊の頃。
オレの母さんは、オレを孤児院の前に捨てた。
細く白い手。
少し寂しそうに、「ごめんね」と言う母さんの顔を、微かに覚えてる。
そしてしばらく経って、地面から抱き上げられた。
でもそれは、さっきまでの母さんの手じゃなくて。
知らない、手だった。
雨はだんだん強くなってきた。井ノ原の身体は冷えてきて、微かに震え始めた。
..........冷たい雨。
♪~♪~♪~♪
鼻歌が雨に掻き消されないように、さっきより強く歌う。
♪~♪~♪~…
ハァッハァッ…
俺はずっと走りっぱなしだった。
雨は強くなる一方で、自分自身暑いのか寒いのかわからなくなってきた。
---井ノ原…
----------井ノ原…!
気持ちは焦るばかりだった。
そういえば井ノ原は、自分の話をあまりしたことがなかった。病院での楽しい話ばかりで、入院する前の話や愚痴は、聞いたことがなかった。
ずっと笑顔だった。
いつも、明るい笑顔で。
悲しいことも、嫌なことも、忘れさせてくれた。
でも、井ノ原は。
辛いことも、嫌なことも。
1人で抱えていたのではないだろうか。
ちゃんと聞きたい。
井ノ原のこと。
♪~♪~♪~……
小さな公園の前を通り過ぎようとした時だった。
♪~♪~♪~…
微かに聞き覚えのある歌が聞こえて、ハッと振り向いた。
身体はしっとりと濡れていて。
ポツンとブランコに座って。
俯いて、いつもの歌を歌っている。
井ノ原がいた。
「…っっ! 井ノ原っ!」
急いで井ノ原に駆け寄ると。
井ノ原はゆっくりと顔を上げた。
「…さかもと、くん」
そう呟いた井ノ原は。
いつもの笑顔じゃなくて。
不安そうな、寂しそうな。
今にも泣きそうな顔をしていた。
「井ノ原…」
俺が井ノ原の前にしゃがむと、井ノ原はサッと俯いて。
「…ごめん」
と。小さく小さく呟いた。
俺は胸がキュウッと苦しくなる感じがして、急いで立ち上がった。
そして井ノ原に、手を差し出した。
「帰ろう」
井ノ原は顔を上げ、少し躊躇う素振りを見せた。
あぁ、こんな感じだったのか、と、前に長野が言っていた、"昔の井ノ原"の話を思い出した。
どうすればいいのか、わからないような顔。
「帰ろう」
俺はもう一度、井ノ原に言った。
不安そうな井ノ原を、安心させるようにと笑って。
すると、井ノ原は躊躇いながらも、
しっかり、俺の手を握って、立ち上がった。
俺が手を離して、井ノ原に背を向け歩きだすと、井ノ原は少し遅れて俺の後ろを歩きだした。