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「はぁ…」
ある日の朝。定期的に行う井ノ原の検査結果を見て、長野は頭を抱えた。
…どんどん、病状が悪化している。
体重も減り、色んな数値が悪い方向に進んでいる。治療も今のままでは足りないだろう。
「これじゃあ、当分屋上には行かせてあげられないかなぁ…」
よっちゃんに言ったらどんな顔するだろう、と長野は苦笑した。
その日の夕方。
俺(坂本)や健たちが帰ってから、長野は井ノ原の病室に向かった。
「よっちゃん」
ドアから優しく呼ぶと、井ノ原は嬉しそうに笑う。
「長野くん」
長野は井ノ原のベッドの横にしゃがんで、井ノ原を見上げた。
しばらく、井ノ原が楽しそうに話していたが、自然と、長野は悲しそうな顔をしてしまう。それを見て、井ノ原は首を傾げるばかり。
長野は、俯いて、しかしすぐ井ノ原の目を見つめ、話した。
「よっちゃん」
「なに?」
「この前の検査の結果なんだけど」
「…うん」
「あんまり良くなかったんだ」
井ノ原が少し眉を下げる。
「だからね、これ以上悪くならないためにも、…しばらく、屋上に行かせてあげられないんだ」
「…え?」
井ノ原は目を見開いた。
「しばらく、安静にしよう」
長野の顔が辛そうに歪む。
「ごめんね」
井ノ原は答えなかった。呆然とした表情で、固まっていた。
長野は耐え切れず、井ノ原にもう一度ごめんと言うと、病室を出た。
「…もう、治らないのかな」
井ノ原は、ギュッと拳を握った。
午前4時。
井ノ原の病室のドアが微かに開いた。
病院の廊下には、人は見当たらない。
ドアを開け、病院の入り口まで走った。
自動ドアが開く。
迷わず、外に飛び出した----。
「よっちゃ~ん」
朝、長野は笑顔で井ノ原の病室のドアを開けた。
しかし、ベッドを見た途端、その笑顔は消え、カルテの落ちる音が響いた。
「…よっちゃん?」
「ハァッ、ハァッ」
突然長野から電話があって、俺は仕事を抜けて病院に向かった。
井ノ原の病室に急ぐ。
「長野っ!」
ガラッと勢いよくドアを開けると、井ノ原のベッドに長野がポツンと座っていた。
俺に気づくと、長野は今にも泣きそうな顔をして、口をへの字に曲げた。
「井ノ原がいなくなったってどういうことだよ?!」
「どういうことだろう……」
長野自身も混乱している。
「とにかく、他の階とか、屋上とか捜したか?!」
俺も焦っていた。
安静にしなければいけないと言われた井ノ原が、いなくなったなんて。
「まだ、捜してない…」
「じゃあ! 長野は病院の中捜せ! …もしものために、俺は病院の近く捜すから…」
ありえない、と思いたかったが、井ノ原が病院から逃げてしまった可能性もある。
「わかった」
長野は、顔を引き締め、病室の外に捜しに行った。
「井ノ原…」
俺も、ギュッと拳を握り締め、病院の外に走った。
空は、今にも泣き出しそうだった。
ギイッ…
病院からそう遠くない公園で、静かにブランコの揺れる音が響く。
「何やってんだろ、オレ」
逃げ出しても病気は治らないのに。
屋上に行かせてあげられない、と長野くんに言われた時、絶望した気分になった。
もともと好きではなかった病院。薬品のにおいと、白で覆われた空間が嫌いだった。
だから、屋上に出て、昔から好きな歌うことをして気を紛らわせてたのに。
それさえ駄目だと言われて。
すべてから逃げようと思った。
走って、走って、走って。
だけど、体力が無くて、すぐに走れなくなった。
とりあえず目の前にあった公園のブランコに座って。
どれだけ経ったのだろう、パラパラと雨が降り出してきた。
…寒いなー……
病気悪化するなーなんて呑気に考えてた。
♪~♪~♪~
いつもの歌を鼻歌で歌ってみる。
♪~♪~♪~
雨はだんだん強くなってきた。
♪~♪~♪~
雨粒が、頬を伝って流れる。
…まるで涙みたいに。
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どこだよ。井ノ原。
どこ行っちまったんだよ…。
「ここにもいない……」
病院の近くには、公園など、休める場所が多くて、1つ1つ捜すのは大変だった。
雨が降り始めて、汗と雨粒が混ざってベタベタした。
さっき長野から電話があって、「病院にはいなさそうだ」という連絡があった。
-------なんで、
-----------------------いなくなったんだよ
昨日までは普通に笑ってた。一緒に屋上に行って、歌って、しゃべってたのに。
…屋上に行けなくなったからか?
長野が言ってた。
病気が、どんどん悪くなってるって。
井ノ原には言ってないけど、治療が難しくなってるって。
井ノ原はそれに気づいていたのだろう。
もうだいぶ前から。
そしてとうとう、大好きだった歌も、ギターも、ダメと言われて。
逃げ出した。
「井ノ原ぁっ!」
どこにいるんだ。
井ノ原。