1.ハジマリ
Side:快彦
いつもと変わらない教室。いつもと変わらず授業を受けて、いつもと変わらず昼飯食べて、いつもと変わらず友達としゃべる。
それが、1時間前。
いつもと変わらない道。
同じ店で、同じ人が働いている。
何の変哲もない、変わらない道、人。
俺は変わらず、家に向かう。
それが、30分前。
古ぼけたマンション。
何も変わらない。
色褪せた壁の階段を、ゆっくりと上がって、3階まで行って。
いつもと変わらずドアを開ける。
リビングに入ると、いつもと違うことが1つ。
父さんの仕事が、休み。
両親が揃ってリビングにいた。
兄貴は仕事の都合で、明日までいなかった。
「おかえり」、と両親は笑って。
「ただいま」、俺は呟く。
そして自分の部屋に入って、カギを閉める。
それが、10分前。
誰かが家に来たようだ。
少しリビングがバタバタとしている。
オレの部屋はリビングから廊下が無く直接ドアがあるから、リビングの音がよく聞こえるのだ。
それが5分前。
少し様子がおかしいと思った。
言い争うような声が聞こえる。
父さんと母さんの声と、知らない声。
男だと思う。
声は次第に大きくなっていた。
オレは不審に思って、そっとドアを開けた。
父さんと母さんが、オレと向き合うように机の向こうに立ってて。
大柄な男が、オレに背中を向け目の前に立っていた。
父さんと目が合った。
父さんは強張った顔をしていて、目が合うとそれを一層強くした。
父さんの表情の変化に気づいた男が、ジロリとオレの方に向いた。
「快彦っ…」
母さんが焦ったように言うと、男はニヤリと笑ってオレを見た。
背筋がヒヤリとした。
「息子さんかな?」
男はオレに顔を近づけて、オレの顔をまじまじと見て、オレが答えないと、男は強引にオレを部屋から引っ張り出した。
「ぅわっ…」
すごく強い力で、腕に痛みが走った。
「快彦!」
父さんが怒鳴ると、男はニヤニヤしながらオレの耳元で囁いた。
「よしひこく~ん君のお父さんとお母さんがねぇ、おじちゃんから借りたお金を返してくれないんだよ。
何とか言ってくれないかなぁ?」
話が読めなかった。
「だからすべて返したと言っただろう!」
父さんが焦ったように怒鳴る。
「足りないんですよぉ、いくら数えても」
「そんな筈はない!」
「早く快彦を放しなさい!」
母さんも怒鳴った。
すると、男は笑顔を消した。
「カリカリしてるねぇ」
ダンッ!!
オレは壁に叩きつけられた。
「ぅゔっ…」
一瞬息ができなくて、その場に倒れた。
「快彦っ…!」
「早く返せよ!」
男は怒鳴り、オレに近寄って来た。
そして、力強くオレの腹を蹴った。
「ゔっ…」
「快彦!」
父さんが男の背中を抑えようとしたが、男は父さんより遥かに大きく、男はオレの腹を蹴り続けた。
「ぅうっ…、はっ、ゔっ……」
だんだん、周りが歪んで、見えて、きて。
父さんは必死に、オレの前に立って、男を抑えようとした。
なんとかオレから男を離すと、母さんがオレを抱き起こした。
「快彦っ…」
「かぁ…さ、ん…」
オレは意識が朦朧として、身体に力を入れられなかった。
すると男は、キッチンに走って行ってしまった。
父さんが焦ってキッチンに向かおうとしたけれど、男はすぐに戻って来て、
銀色に光る鋭利な物を父さんに向けた。
「おっおいお前っ!」
母さんはオレを壁にもたれさせてオレの前に立ち、父さんはオレ達の前に立った。
「早くナイフを置け!」
父さんの声が響いた。
男はニヤリと笑い、
「あなたっっ!!」
鈍い音が耳に響いた。
目が回るなか、目の前の情景が一瞬で目に飛び込んできた。
父さんは、ガクリと膝をつき、床に倒れた。
一瞬、無音の時が流れた。
しかしその瞬間。
「キャーッッッ!!!」
母さんが泣きながら男に突進し。
鈍い音がして。
次の瞬間、母さんも床に倒れた。
オレは目を見張った。
ドクドクと床に流れ出る、赤黒い液体。
鼓動が早まっていく気がした。
すると、男がゆっくりオレに近づいて来たようだった。
男はオレの目の前にしゃがみ、囁いた。
「悪いねぇ」
男はニヤニヤとしていた。
そして男は、オレの手に持っていたナイフを掴ませた。
オレはナイフを見た。
銀色に光るナイフには、赤い液体がポタポタと垂れていた。
息ができなかった。
キーンと耳鳴りがして。
身体がガタガタと震えた。
男はいつのまにか目の前からいなくなっていて。
リビングに、玄関のドアの閉まる音が響いた。
オレは夜が明けるまで、座り込んだままでいた。