----しゃーぼんだま飛んだー
屋根まで飛んだー
屋根まで飛んでー…
しゃぼんだま
「ねぇまーくん、シャボン玉やろぉ!」
「ほら、そんな走って転ぶんじゃねーぞっ」
眩しい笑顔を向ける10歳下の弟・快彦は、公園のベンチにストンと腰掛け、ストローでたくさんの泡を吹きはじめた。
「まーくん見て、みんな飛んでくよぉ!」
バイバーイと、シャボン玉に白く細い手をぶんぶん振る。
まーくんも、とせがまれて、俺もシャボン玉を飛ばす。
快彦の作るシャボン玉よりは、大きく出来上がったそれ。
快彦はキャッキャとはしゃぎ、次々と小さなシャボン玉を飛ばした。
俺は飛んでいくシャボン玉を、ただぼーっと見つめていた。
小さなシャボン玉。
大きなシャボン玉。
風に乗って、流れていく。
…ぱちん、
ぱちん、ぱちん、ぱちん……
------せっかく飛んだのに、シャボン玉は跡形もなく消えてしまう。
あの大きな空まで行かないまま、壊れて、消えて。
…快彦は、今飛んでいる途中の、シャボン玉なのだろうか。
「まーくん、もう一回」
快彦に突かれ、我に返った。
差し出されるストローを受け取り、俺はそっと、大きなシャボン玉を作った。
シャボン玉はゆっくり、上へ上へと飛んでいく。
…消えないで。
それはシャボン玉に込めた願いなのか、それとも。
飛んでいったシャボン玉は、俺の願いも虚しく消えてしまった。
快彦は小児がんだった。
生まれてすぐに、悪性の腫瘍が見つかり、「5歳まで生きられない」と痛ましい宣告をされて。
俺や両親は、出来る限り快彦と共に過ごすように努めてきた。
そして今、4歳10ヶ月。
先月倒れてから、快彦は病院のベッドに沈んでいた。
もう、外に出ることも、遊ぶこともできない。
だが快彦の、向日葵のような眩しい笑顔は、健在だった。
俺は学校から帰ると、ずっと快彦に付き添っていた。
両親は共働きで、深夜だけ来てくれる。
快彦は少し寂しそうな様子ではあったが、俺にはいつも笑顔を見せてくれていた。
いつもいつも、笑っていた。
しかし、今日。
「…え、そんなに危ないんですか…?」
昼休み、アナウンスで電話があると呼び出された。
急いで職員室に駆け込むと、電話は快彦のいる病院からだった。
-----かなり危ない状態らしい。
意識が曖昧で、もう治療は続けにくいと。
両親にも電話する、と。
快彦のひとりでいる姿を想像して。
いますぐ向かう、と俺は言った。
先生に許可をとるのももどかしくて、電話を切ると職員室を飛び出した。
--------待ってろ、快彦。
一人でいったりすんな。
…まだ、消えないで。
「快彦っっ」
勢いよく引き戸を開けると、そこには忙しく動き回る看護婦と、たくさんの機械に繋がれた快彦が横たわっていた。
看護婦は俺を見るなり、険しい顔つきで言った。
「かなり危険な状態です。ご両親ももうすぐいらっしゃるとのことですが…間に合うかどうか…」
快彦は、額に汗を浮かべ胸を上下させていた。
「快彦…」
点滴が刺された小さな手を握る。
すると快彦は、弱い力ながら握り返し、力無く微笑んで見せた。
「まー…くん…」
小さな小さな、掠れた声で。
快彦は言った。
「もぅ……いぃ、よ」
「…は?」
突然の快彦の言葉に、俺は惚けた声を出してしまった。
「…よし、ね。もう、いいの」
いく、よ…
「何、言ってんだよ…」
"いく"って。
よしが言ったら、ダメだろ…?
頬に生暖かい雫が零れるのを感じて。
握る手に顔を埋めた。
快彦の手は、まだ温かい。
とくとくと、微かに心臓の動くのを感じられる。
「もうすぐ、母さんたち来るから、快彦」
顔を上げて、涙を流したまま快彦に笑いかけた。
快彦、まだ行
「先生数値が下がっています!」
言い終わる前に、看護婦たちの声と機械の音が騒ぎはじめた。
でも快彦は、手を離さない。
俺も強く、握っていた。
「坂本さんっ」
看護婦は、苦い顔をして、言う。
「延命措置を、とられますか?」
このまま息を引き取るのを待つか、治療を続けるか。
いかないで。
消えないで。
『もう、いいの…』
よし、ひこ。
「いいです、このままで…」
ギュウッと快彦の手を握って。
延命措置は、辞退した。
看護婦たちは丁寧に頷き、快彦に繋いだ機械を、外していった。
人口呼吸機も、外した。
「まーくん…」
快彦は、ホッとしたように微笑んで。
「よし、消えないよ…」
消えないで。
消えないで。
俺の願いは、快彦の心に届いてた。
「…そ、だな、よしは消えない、」
涙が溢れて、声が続かなかった。
「まー…くん」
快彦は、俺の手を握って、笑ってみせた。
「また、シャボン玉、やろ…ね…」
今度は、お空まで、飛んでくから、ね…。
シャボン玉。
快彦は大好きだった。
ふわふわと空に向かって飛んでいくそれに、「ばいばい」と手を振っていた。
…でも、シャボン玉が消える瞬間は、見ていなかった。
「ばいばい」と、
あの大空に向かっていくシャボン玉だけに、
手を振っていた。
「そ…だな。また、やろうな。今度はもっと大きいの、作ろうな」
目一杯笑顔を作って。
俺は快彦の頭を撫でた。
うん、と。
満足そうに笑って、俺の手を、最後の力を振り絞って握って。
快彦は、目を閉じた。
ばいばい、快彦。
お前はお空まで、飛んでいけるな。
消えないで、飛べるよな。
--------------風、風吹くな、
しゃぼんだま、飛ばそ。
End.
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短編「しゃぼんだま」でした。
これは、当サイトをリンクさせて頂いているアンラブリンクさまの、
「イマジネーション企画」に出展するために書き上げました。
始めと終わりに書かれている歌詞は、野口雨情さん作詞の唱歌「シャボン玉」から
引用させていただぎました。
この歌のイメージを、この小説で表すことが出来たらいいな、と思います。
2011.4.1